プラザ合意とは

用語集

投稿日: 2014年02月12日

最終更新日: 2017年02月07日

アメリカは貿易赤字に悩んでいた

1985年(昭和60年)9月22日にアメリカ・ニューヨークのプラザホテルで取り決められた、ドル安に関する合意のことです。ちなみにプラザ合意の「プラザ」はホテルの名前です。

当時のアメリカは貿易赤字に悩まされており、その打開策としてドル安になるよう各国(イギリス・フランス・ドイツ・日本)の財務相に依頼しました。

各国はこの要請を受け入れ、日本は日銀による協調介入が行われ、円高になるようにコントロールされました。

ドル安となってドルの価値が相対的に下がると、アメリカの製品も割安となり、外国から見れば輸入しやすくなります。

貿易赤字はその国の輸出額より輸入額の方が多い状態ですから、黒字にするためには輸出を増やす必要があります。

加速する円高と日本が受けた弊害

プラザ合意前後の為替レート 出所:Wikipedia

プラザ合意前後の為替レート 出所:Wikipedia

グラフにある通り、日本ではこの合意により円高が加速しました。大幅な円高への加速は輸出企業を苦しめました。円高になるということは円の価値が相対的に上がるということなので、それと同時に日本の製品が割高になるという意味を持ちます。

結果として輸出企業の業績は大幅に悪化し、円高不況と言われるようになりました。輸出企業は安い人件費を求めて海外(主にアジア)に工場を建てるようになり、現地の雇用を生み出すことになりました。

definition
プラザ合意によりアジア経済の発展につながった。

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